(一番高い平地に本丸の城があった)
《本曲輪》
《松山城配置図》 《比企地区にあった城》
小高い山を登り詰めると思いの外広い所に出る
本曲輪(くるわ)でここに本丸があったようです
又、隣りにかなり広い場所がありこのような曲輪が
4箇所ありました。
《二の曲輪の説明》 《 約500年前の土塁跡が見られる》
樹齢数百年と思われる山桜の巨木に出合う。
今年もこれからひっそりと優しい花を咲かせる事でしょう
岩室観音堂
巨大な岩の下に建っている。ひんやりとしたお堂の中で数百年の歴史をかんじる
四国八十八ヶ所お遍路巡り 岩室のお堂の中に八十八体の石仏が鎮座していて、ここをお参りすると四国八十八参りが出来たとされた
住居跡は民家になっていて中には入れませんでした。立派な門構えの
お屋敷でした。
代々続いている歴史と貫禄をかんじました。ほかの家々も大きくて驚きました。この地域が遥か鎌倉時代から豊かな暮らしをしていたのを
感じます。谷津田米は滑川町のブランド米で人気があり大変美味しいそうです。
屋敷の周りを囲む土塁の大きさに当時の権力の強さを想像しました
この土地の持ち主の方がしつかり整備してくださっていて空堀跡が
しっかり残されています。
土塁の上から屋敷跡に建っている民家を撮影
土塁の入り口付近にお地蔵様がひっそりおられました。何百年もここを見守り続けているのですね
広い田んぼを挟んだ小高い所にお寺が建っています。国指定重要文化財の阿弥陀如来坐像が安置されています1254年に修理した記録が残っているそうです。
鉢形城は1476年に長尾景春により築城された戦国時代の城です
武田信玄、上杉謙信にも負けない程でしたが、1590年豊臣秀吉の命により
前田利家、上杉景勝に滅ぼされたそうです。
荒川の断崖絶壁にあり土塁や遺跡を楽しみながらwalking出来ました
ここに巨大な城があったと想像するとワクワクしました。
鉢形城歴史館は予約してなくては入れませんでしたが又、訪れたい場所です
昔の人はどうやって この高い巨大な土塁を作ったのだろうか
500年前の人々の知恵や知識に驚くばかり
比企能員館は 現在の宗悟寺周辺にあったそうです。
源頼朝の乳母.比企尼の甥で頼朝が将軍となる時多いに支え娘を2代将軍頼家の側室とし多大な権力を持ったらしいです。
比企尼は現在の滑川町に夫と住んでいて三門館(みかどやかた)と呼ばれた城館跡が残されています。
遥か900年前の比企一族の悲劇に 観光ガイドさんの話に胸うたれました
何と森林公園で歴史を楽しめる
(*_*;(◎_◎;)
森林公園南口 入ってすぐ右手を登ると 山田城跡があります。
戦国時代「忍城」の 出城だった様です。ここは鎌倉街道沿いで
街道を通る敵の監視場所の城
らしいです。
400年前位の土塁や空堀がしっかり残されています。
ここは訪れる人も少なく大きな赤松林に囲まれていました
この時代には一面赤松林だったかも?
大きな赤松の大木が
見事できれいでした。
虎口らしきものもあり、ここから
戦国時代の兵士が出入りして勢い良く馬で駆け上がる姿が
思い浮かんで来ました
歩行距離 約8km
12000歩
梅林の近辺には山崎城もあったらしいです。森林公園内で
歴史を楽しみながら
落ち葉を踏みしめその音が心地良かったです鎌倉街道を馬に乗って武将もここを通って行ったのかと大きな赤松林を見上げながら、のんびりと歴史にしたりました。
平日なのに結構賑やかで皆さん紅葉を楽しんでいました。
2022.1.8 ウオーキングセンター主催の新春
walking 参加
10㎞ 15000歩
吉見百穴ー吉見観音ー息障院(源 範頼 館跡)
息障院がある一帯は源範頼の居館跡と伝えられている。源範頼は頼朝の弟で平治の乱後比企氏の庇護によりここで成長した。頼朝が鎌倉で勢力を得た後も吉見に住んでいたと思われるらしいです
範頼没後はその子範円から五代目義世までがこの館に居住し1296年頃に北条氏の弾圧を受けたそうです。
今もこの寺の周囲には範頼の館建立時に造られた堀の一部が残っているらしいですが見つかりませんでした。
可愛いタヌキが人懐こくウロチョロしてました。ひっそりとして見事な松が本堂前にあり歴史を感じる立派なお寺でした。
かなりの速足で歩き 冬ばれの中富士山を見ながら楽しい新春walkingで参加して良かったです。😊(^0_0^)
<足利基氏館跡>ー<鳴かずの池>ー<阿弥陀堂の板碑>ー<比企能員判官塚>ー<六面とう>ー<正法寺>
8km 13000歩
足利基氏館跡>>>足利尊氏の次男1340年に生まれる
岩殿山合戦の際に陣を敷いたらしいです
当地には長期逗留はせず地元豪族の館を陣地として利用したのではないかと言われています。
空堀跡や土塁の跡が見られるらしいのですが何だかよくわかりませんでした。けれど小高い見晴らしの良い丘陵地は確かに大きな館が建っていたんだろうな~と思える場所でした。
次に鳴かずの池 辺りを楽しむ
池の水は枯れていて土が見えていました。夏の頃は面々と不気味な水を湛えているのですが
阿弥陀堂の板碑
この板碑は1368年に真言密教の布教を願い建てられたそうです。
高さ260cm 市内で二番目の高さ
参道左手の坂道を登り詰めると
比企能員が祀られている判官塚
時たま気が向くと大東文化大学の急坂を
子供動物公園沿いに正法寺までウォーキングしますが 歴史を楽しみながら歩くこのコースも充分に堪能出来ました。
昔、坂上田村麻呂が退治した悪竜の首を埋めた所にこの弁天沼が出来、カエルが住みつかないのでそう呼ばれているそうです。
大東文化大学の敷地内からここに移されたらしいです。比企能員の孫がこの塚を建立したとされています
源頼朝の命により比企能員が復興した古刹。
千手観音が祭られていて北条政子の守本尊として厚く信仰されたそうです。
イチョウの巨木も見事です.本堂は大きな岩壁を背後にしずかにたたずんでいます。
線香の煙や香りに何故か癒されます。平穏に心和やかに家族の無事をお祈りしました。
市指定の巨木がどっしりと立っていました。この地の歴史を長年見守っている長老様の感じで貫禄と威厳を見せてドキっとしました。
ここには阿弥陀堂とお寺が建っていたらしいです
岩殿観音参道絵図
往時を偲ばせる参道の家並江戸時代中期から後期門前町は賑わったようです。
家ごとに屋号があります。宿坊も寺も何軒もあった様です
正法寺の六面とう
判官塚から更に大東文化大学沿いに登って行くと参道を見渡せる
見晴らしの良い山中の高台にあります。
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